民家の甲子園
   第二回民家・街並みフォトコンテスト
   ○シックハウスを考える会賞  
            川手祐介(2年)、小田切勝仁(1年)、北畑千鶴(1年)、向井鷹矢(1年)

私たちは山梨県に住んでいます。今回私たちが民家と町並みを撮るために選んだ場所、早川町赤沢は、山梨県の南部に位置し、江戸時代のころ身延山本山と七面山を結ぶ宿場町(写真@:緑に溶け込むまち)として栄えていました。山岳信仰の霊場であった七面山は、寛永17年(1640)徳川家康の側室であった養珠院(お万の方)の参詣以来、女人禁制が解かれ、江戸を中心に組織された身延講の発展とともに一段と七面山参詣が活気を呈しました。七面山への参詣が身延山参詣とセットで行われ、身延山久遠寺に詣でた人々は奥の院を経て、赤沢宿を通り春木川を渡ってから再度表参道を登って七面山に山頂に達しました。赤沢は山岳霊場身延山(1152m)から七面山(1982m)へ登る唯一の道筋の、唯一の宿場町として開けました。赤沢は身延山から下ってきて、春木川に下る直前の山腹にしがみついた宿場です。

現存する伝統的な家屋は明治・大正時代に建てられ、平屋建て小屋組構造に古式を残し、かつては板葺き屋根(写真A:昔を語る家屋)の集落でした。宿場ということなのでお客さんが一斉に靴を脱いだり履いたりできるように、玄関がL字土間(写真B:L字土間のある旅籠)になっている家が多く、今では五軒の旅籠が残っています。赤沢宿の石畳と石垣(写真C:時代が通う石畳)は野石とともに寒沢石と呼ばれる、地元で採れる縞模様の角ばった石を使っています。石垣の積み方は緻密で丁寧にできています。大小入り交じるため一定ではないが、石同士は矢筈(矢羽返し)に組んであり、曲がる所は算木に組んであります。町でたまたま会ったおじいさんは恵比寿屋という旅籠の住人で講中札(写真D:講中札と軒先)のことを話してくれました。講中札とは別名マネギ板ともいい、参詣した講中(信仰者の集まり)が宿舎の印として残していくもののことをいうそうです。講中札90×30センチ余りで欅板に朱印、文字は浮彫り黒塗仕上げで作られています。今でも講中札は七面山参道沿いの家の軒下に多く見られ、当時の面影を残しています。

今回の写真撮影を通して、改めて民家の良さ・町並みの美しさを感じられたように思います。また、いつもの慌ただしい日常を離れることで普段では忘れてしまっている自然の偉大さや空の広さ、小鳥のさえずる声や木々の木漏れ日などを思い出させてくれたように思います。普段見慣れた町並みが、古い民家と石畳・石垣そして、雄大な自然の中で見るとまったく違う、まるで、夢の中に来たようなそんな気持ちにさせてくれました。

写真@:緑に溶け込むまち(北畑千鶴)↓

写真A:昔を語る家屋(小田切勝仁)↓

写真B:L字土間のある旅籠(向井鷹矢)↓

写真C:時代が通う石畳(向井鷹矢)↓

写真D:講中札と軒先(川手祐介)↓